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IKURO MORI Official Blog

透析医療の現状を疑問に思い腎臓内科医になる事にしました。

チェルノブイリから考える被曝 〜研修医と被曝について考えましょう②〜

今回はチェルノブイリ原発事故について触れてみたいと思います。以前NHKで『チェルノブイリの現状』という番組がチェルノブイリ原発事故を扱っておりました。過去の事例から福島や今後の医療被曝について考えていく事はとても大切な事なんじゃないかなと思ったので、取り上げてみようと思います。

 

前回の記事はこれ。

korokorokoro196.hatenablog.com

 

今回の主な項目

甲状腺癌患者の増加

2裏に隠された被害

3福島とチェルノブイリの異なる点

 

 

甲状腺癌患者の増加

 

先に結論を申し上げると、事故の現場付近の事例を除いた時、

 

『増加が報告されているのは甲状腺癌のみ』です。

 

甲状腺癌が発症した子供は6000人以上であり、15人が死亡しました。(2011年)

 

前回の記事でも触れましたが、甲状腺癌で問題になるのは(放射性)ヨウ素です。ヨウ素甲状腺が働く上での材料となる物質であり、摂取した後甲状腺に貯蓄されます。貯蓄された放射性ヨウ素甲状腺細胞を傷ついてそれが癌化に繋がると考えられてます。

 

更にヨウ素は8日という短い半減期をしかない放射性物質であり、事故の急性期に対策をとれば、事故を防ぐ事が出来る放射性物質です。チェルノブイリでは多くの被害をもたらしました。4歳以下の小児の1%近くが1万mSv以上もの線量を甲状腺に浴びてしまう悲惨な結果となりました。

 

 

ここで触れなければならないのが、この事故は防ぐ事が出来たと考えられている事です。

 

 

 

ヨウ素は空気の流れにのって移動しやすく様々な地域に降り注ぎます。降り注いだ地域の牧草を乳牛が摂取して、そこから牛乳が作られてそれを摂取した子供が被曝します。子供は細胞分裂が早いため被曝の影響を大きく受けると考えられています。

 

 

しかし、度々申し上げますがヨウ素半減期は8日です。1ヶ月後には16分の1まで減少、2ヶ月後には256分の1まで減少します。つまり行政が急性期2ヶ月後あたりまで食品流通の制限を行なう事で健康被害を食い止める事は可能です。

 

 

当時の政府は原発事故を数日間公表しませんでした。そのため表立った食品の規制を行なう事が出来ず、多くの子供が何も知らずに放射性ヨウ素を摂取してしまったという経緯があります。

 

 

ちなみに福島の原発事故の時はチェルノブイリの教訓を踏まえて、食品制限は厳格に行われました。その成果あり現在チェルノブイリ程の健康被害が報告されておりません。

 

 

2裏に隠された被害

 

広島・長崎に関してはまた違う記事で触れますが、原爆事故の後平均寿命は下がるどころか、上昇するという皮肉な結果がでました。これは被曝手帳により医療のアクセスが簡単になった事が原因として考えられております。

 

広島・長崎から考える被曝 - 研修医日記

 

一方、チェルノブイリ原発事故の後、ロシアやウクライナベラルーシチェルノブイリでは平均寿命が5年以上も低下しました。寿命が短くなった原因の一つとして不自由な避難生活やコミュニティー喪失により精神的ストレスを追うことになり、またソ連崩壊もあり、経済的にも追い込まれたという背景が挙げられます。

 

 

 

チェルノブイリ事故25年 ロシアにおける影響と後遺症の克服についての総括および展望1986-2011』では事故そのものより、事故に伴う慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、精神的ストレスの方が遥かに甚大な被害を及ぼしたと総括しています。

 

 

 

 ハーバードのイチローカワチ教授の『命の格差は止められるか』では地域コミュニティーと健康に関しての研究としてアメリカのシカゴの例を挙げた。アメリカのシカゴでは過去に熱波による天災が街を襲った際、地域付き合い文化として存在するAという町と全く地域付き合いのないBという町で死者が10倍差が出た。

 

 

エミリー・デュルケームは研究『自殺論』で自殺の発生率と社会的な背景に関して触れた。自殺を単なる個人の心の問題ではなく社会的な背景に問題すると考え、アメリカにおいて社会との関わりが無い人はある人に比して2倍以上死亡リスクがあるという研究を根拠に結論付けた。

 

(ちなみに私はこの原則は平時の日本に当てはまらないと考えているが、置いておく。)

 

 

 

チェルノブイリでは必要以上の厳格な措置が取られました。年間5mSv測定される地域で強制避難が行われました。ちなみに福島での基準は20mSv以上でありその厳格さをうかがわせます。

 

 

多くの外部の人がその土地の人の事を想って、避難を訴えかけます。しかし、『避難』=『安全』という方程式が成り立つほど話は簡単ではなくその後の精神的ストレス、生活習慣の変更による被害を考慮すると避難しない方が良い場合も存在するようです。

 

 

ちなみに広島・長崎では避難など行われませんでした。結果広島は日本一の女性の平均寿命を有しております。この事はあまり知られていませんが、その事実から考えなければならない事は多く存在しそうです。

 

 

 

 3福島とチェルノブイリの異なる点

 

大きな違いの一つ目は見事に食品規制を行った事です。これは甲状腺の項で述べました。

 

二つ目は、爆発の規模です。原子力発電所では放射性物質が外に飛び散らないように原子炉を格納容器で囲っており、更にそれらを原子炉建屋が囲っております。

 

福島の事故では原子炉建屋は破壊されましたが、格納容器は残っております。

チェルノブイリの事故では格納容器はそもそも存在しませんでした。丸出し状態だったと思われます。

 

 

冒頭で触れたNHKの番組では『チェルノブイリの事実』→『日本の今後の予想』という構図で番組が展開されていましたが、その事故の構造の違いについてはあまり言及されていませんでした。

 

 

 

 

この前News Picksという良質な記事が流れるニュースキュレーションのメディアで『福島の避難地域はチェルノブイリの時よりも狭く、安全意識が足りない。けしからん!』といった論調の記事が流れていました。当時の無知な私は『その通りだ』とか思っていましたが、今になって思うと果たして二つの事故の構造を筆者は理解してのか少し疑問が残ります。

 

今回はチェルノブイリについて触れました。次回は広島・長崎から被曝を考えてみようと思います。

 

korokorokoro196.hatenablog.com

 

初心者でも15分で分かる放射線と被曝の話 〜研修医と被曝について考えましょう①〜

実際、放射線ってどうなの?

 

 

私が研修医になり、よく友人からされるようになった質問です。

 

 

実際のところ、医学生が国家試験が終わるまで放射線を学ぶ事なんてほとんどありません。

 

 

私の研修病院の同期でも、いや放射線科を除くほとんどの医師が放射線について綺麗に説明できないのが現状です。正直言うと、私はこのblogを書くまでシーベルトが何なのかも知りませんでした。

 

 

しかし、医者である私はそれなりの答えを期待されてしまい、結果その場をやり過ごす事に必死になります。少しばかりそれっぽい事を言って結局

 

 

『大丈夫、大丈夫!笑 気にする方が健康に悪いって!』

 

 

と流してしまいます。おそらく医者の方なら覚えがある出来事だと思います。

 

しかしそれを聞いた友人は『医者がこう言ってた』と、その友人に言い、どんどん適当な情報が人伝いに広まっていきます。

 

現在、日本では放射線についての色んな情報が錯綜していると思います。何が大丈夫なのか、何が危険なのかがよく分からないまま話が広がり、結局放射線が人体にどう影響するのか、そして原発事故は果たして本当に大丈夫なのかがよく分からないままになっていると思います。

 

 

放射線関連の発信はライティング関連の世界でタブー視されています。炎上の対象にされやすいからです。そのため『専門的過ぎて読んでいて隙が無い、がしかし読みにくい文章』か『読みやすいけど言っている事がめちゃめちゃな科学的根拠のない感情論』がWeb上で錯綜していると思います。

 

 

そこで私は専門家でないけどある程度は医学について理解している研修医という立場で研修医なりにしっかり勉強して『とっつきやすく読みやすいが科学的根拠のある放射線についてのコンテンツ』を作ろうと思い、放射線についての記事を書こうと思いました。

 

 

今回はまず話をする上で少し知識をつけるための内容について触れます。では行きましょう。

 

 

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『初心者でも15分で分かる放射線の事』

 

 

 

ぷろとにうむ、、、、しーべると、、、、べくれる、、、、$%$&’’$#’$(%)&0’*`*『『*=、、、、うわー!!!

 

 

 

いつも放射線の事を勉強すると専門用語だらけで投げ出したくなります。実際私も何度も投げ出しました。ある程度分かるようになるまでに開いた現実逃避のLINEとTwitterの回数は計り知れません。

 

しかし勉強して振り返ると実はそこまで複雑では無い事がわかります。

 

まず最初に覚えた方が良いのは『mSv』。ちなみにミリシーベルトと呼びます。

 

 

これは放射線の攻撃力を示す単位だと思っていただければ良いです。(ちなみに放射線自体の攻撃力はGyだが、ややこしくなるので省略)

 

 

まず、この単位のイメージが出来る事が本当に大事なステップと私は思います。

 

料理をする時に砂糖5gを加えるとどういう味付けの変化が想像できない人が料理を上手く作れないのと同じと思って下さい。

 

 

 

まず一つの事実として、一度に浴びた放射線の威力は以下のようなものです。

 

100mSv浴びる→人体に影響

1000mSvを浴びる→症状が出現

4000mSvを浴びる→半分の人が死ぬ

 

ちなみに福島で避難区域になっているのは年間20mSv。

ちなみにイランのラムサールでは年間200mSvの被曝があると言われています。

 

CTを一回撮れば6.9mSv被曝します。

飛行機に乗ると0.19mSv(NYと東京を往復した場合)被曝します。

レントゲンをとると0.06mSv被曝します。

 

 

ここで大きな目安は100mSv。

 

大事すぎるので大きく書いておきましょう。

100mSv。

100mSv以上での癌のリスクの上昇は科学的に証明されています。

(100mSvで0.5%、200mSvで1.0%の癌のリスクの上昇あり)

 

100mSv以下について、長崎、広島、チェルノブイリの被爆者での研究では癌のリスクの上昇を認めておりません。

 

 

しかし、『データーが存在しない事』=『科学的根拠がない事』ではありません。

医療の世界で異常が『ない』事を証明するためには消去法が使用されます。そのため膨大なプロセスが必要であり、現段階で100mSv以下で人体に影響がない事を科学的に証明するための情報量は存在しません。

 

国際的な結論は、100mSvの健康被害は『現段階で証明はできないが、前例はない』という事になっています。(ちなみにマウスでの実験ではある程度証明されているが人間に適応するのは少し無理があるようです。)

 

 

 

あとはGyとかベクレルとかそういう単位を聞いた事があると思います。しかし、これらも多くはmSvの変換できます。物理学者とか専門家とか医療者にとっては必要な知識かもしれません。しかし私を含めた素人はとりあえずmSvぐらいをしっかり理解してイメージできれば良いと思います。

 

 

 

次に大切な情報は放射性物質についてです。よく聞くのはストロンチウム、プロトニウム、セシウムヨウ素の4つだと思います。理論を話せば長くなるので、ざっくりいくと大切なのはセシウムヨウ素の二つです。

 

ストロンチウムプルトニウムに関してはセシウムと比較して内部被曝による健康被害への影響はかなり低いとされています。(端的に申し上げると1ベクレル辺りのmSvの値が小さい+拡散能力が低いという訳ですが、難しいのでスルーしましょう。)

 

 

 

まずはヨウ素です。ヨウ素で問題となるのは甲状腺癌です。チェルノブイリ原発事故の後に小児の甲状腺癌の患者数が増えました。この事実は国際的な正式な機関が正式な形で発表しています。なのでヨウ素健康被害は存在して、今後原発事故が起きた際には対策を全力で行なう必要があります。更にヨウ素は揮発性であり空気に乗ってばら撒かれるため被害が拡大する傾向にあります。

 

 

ただし知られていない事実としてヨウ素半減期放射線物質が自然に半分に消失するために必要な期間)はたった8日であるということです。過去の原発事故の際も大量のヨウ素がばら撒かれました。しかし、8日で半分に16日で4分の1に、1ヶ月後には16分の1。そして4年以上経った現在では皆無になっていると思われます。つまり大切なことはヨウ素に対しての対応の重要性は『急性期』に存在するという事です。

 

 

次にセシウムです。チェルノブイリでも福島の事故でも主に検出されたのはヨウ素セシウムです。福島の事故では現地入りした科学者により検査が行われ、子供を中心に数百ベクレルから数万ベクレルセシウムを検出しております。ちなみにセシウム(137の方)においては1ベクレル=0.000013mSv。つまり今回の研究で検出されたセシウムによる被曝は仮に10000ベクレルの蓄積が認められた人で0.13mSvです。NYと東京を飛行機で往復した時の被曝量と同じになります。勿論現段階で健康被害は想定できません。セシウム半減期は30年程度。そもそも私が普段から食べる野菜からK40という放射線物質を摂取しており年間0.2程度mSv内部被曝しております。現段階のデーターではセシウムに関して心配する事は、被曝が怖くて飛行機にのらず、野菜も食べないに等しい事になります。

 

 

 

ちなみに私たちは普通に生活しているだけで被曝します。次にこの事に触れます。

 

私達は太陽の光を浴びています。太陽の光には放射性物質が含まれており、直接被曝したり、植物や動物を介して内部被曝したりします。自然界にもともと存在する被曝量を自然被曝といい、その量は日本では年間1.5mSv程度とされています。ちなみに地域によって差がありイランのある地域では年間50mSv、100mSvを超える地域も存在します。

 

 

 

自然被曝以外の被曝で私達が思いつくのは、医療被曝です。日本は世界一の医療被曝大国です。年間の医療被曝は平均4mSv程度とされています。ちなみに先に申し上げておくと、日本人の3分の1から2分の1が癌で死ぬのは、医療被曝のせいだと結論づける学者がいましたが、それは大嘘で(一因である可能性は存在はするがほぼゼロという意味)日本人が癌で死ぬようになった理由は人が長く生きるようになったからです。

 

 

加齢と共にTNF:tumor necrosis factorの量が減少します。tumorとは腫瘍、癌の事であり、necrosisとは壊れる事。TNFはがん細胞を壊す因子であり、その数が減る事は癌になるリスクが上昇する事を意味します。正式な情報は未だ出されていないが(発見できませんでした・・・)60歳を機にTNFが減っていくようです。

 

 

話はずれましたが医療被曝は年間平均4mSv程度です。医療被曝を受けるのは高齢者がメインです。例えば100歳の方が100mSv以上の被曝でガンになるのに20年かかると言われており、余命との兼ね合いで高齢者の被曝のリスクと病気の早期発見が遅れるリスクを天秤にかけて、医療被曝を受けてでも検査をする必要があると考えて試行されています。

 

 

私たちにはその他に法律で被曝限度を定められています。年間1mSvです。この限度には医療被曝と自然被曝は含まれていません。

 

この事から私達は自然被曝1.5mSv+医療被曝4mSv+法的被曝限度1mSvでだいたい年間6.5mSvの被曝をこの日本で一般的に生活しているだけでします。

 

⬛︎

 

 

よくインターネットで被曝について不安を掻き立てるような記事を見ます。実はこの類の記事に書かれている被曝量に関しては意外と正確だったりします。

 

 

例えば都内、原子力で検索したところ、かなり高い順位の記事に『都内で0.22μSv検出!!』みたいな記事がありました。確かに原発事故によって多少の検出量の増加は予想されますが、0.22μSv=0.00022mSvであり、気にするのは個人の判断に委ねるべきですが、それがどの程度の被曝に相当するかは今回の記事をしっかり理解した人ならご理解頂けるでしょう。

 

 

放射線の事が分からない理由として、

①単位がイメージできない事

放射線物質が理解できない事

③平時の被曝について知らない事

 

以上3点が挙げられます。この事について今回言及してみました。次はチェルノブイリをケースに挙げて考えてみようと思います。

 

 

korokorokoro196.hatenablog.com

デザインが医療を変える

「アート×医療」とか「建築×医療」とかそういうキーワードが流行り始めてきている中、どうしても実感が沸かなかった私が

デザインが医療を変える

と思うようになったTEDのプレゼンを今日紹介します。

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ネットでニュースがリアルタイムで見れる時代になるにつれて新聞を読む人はドンドン減ってきています。僕達で新聞を読む人は34.9%(2010年度)。新聞は実用性の面で勝てなくてなっている。そんな新聞業界をデザインという立場で変えていった人が今回紹介するTEDのスピーカーのヤセックウトコです。

『デザインは新聞を救えるか?』 by ヤセックウトコ

 

 

1.デザインが新聞業界を変えた

ヤセックウトコは低迷していたポーランドのビジネス誌を一年で世界一の賞を得るまでの新聞に叩き上げました。

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単に情報の羅列であった新聞ではリアルタイムで情報を手に入れる事が出来るウェブに実用性で勝てない。そこで彼が考えたのが、

『一つの新聞を物語にする』

一面に彼の訴えを表した一つの大きなデザインを載せて、その後社説、その後時事というように起伏とリズム感を付ける事で情報が読者の消化しやすい形で提供する事にしました。

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また建築家出身の彼は単に、ビジュアルだけでなく機能性も追求する建築の考え方を取り入れて、情報に付加価値を付けて提供する事で新聞業界に大きなインパクトを残しました。

 

2.デザインがビジネスの世界を変える

現在でアメリカではデザインシンキングという考え方が取り入れ始められつつあるようです。MBAを取るよりもデザインを経験している方が良いとしている企業もあるそうです。デザイナーというと単に、ビジュアルに意識が集中しているように見えますが、実際は違います。まず目的を考えて、中身を合わせて、何度も何度もその依頼された事業や会社の流れを意識して、そしてやっとデザインを決めるそうです。

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実際、私がカフェ起業をした時にデザイナーに何度か依頼したのですが、『コンセプトはなんですか?』『目的はなんですか?』という一見何も関係ないような部分を何度も聞かれて驚いた事が多くありました。目的を設定して、中身を合わせるこの作業がビジネスの世界で大きく生きる可能性は大いにあります。

 

3.デザインが医療の世界を変える

医療がこれから人・金の面でドンドン効率化していくのは必須です。しかし、効率化のみを遂行して残るのは遊び心の無いつまらい無機質な空間です。ナースステーションが真ん中にあってその周りを病室が囲ってるという良く見られる病棟の構造は実は刑務所と同じ構造になっているのを御存知でしょうか?

医療に最終的な受益者は人です。確かに病気を治すのが医療の役目だとは思いますが、そこに

『科学』だけでなく『感性』という要素を含むべきです。

 

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よく地域のおじいちゃんが「病院に行くだけで憂鬱になるから行かん」とおっしゃるのを聞きます。今後必要になってくる予防医療とか健康維持を推進するために病院に『感性』の要素を取り入れる事はとても意味がある事なのではと思います。

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デザイン性の高いHPも誕生してきてます。 

4.私個人が思う生活とデザイン

いつも真面目な事を書かせてもらってますが、実は趣味でDJをやっています。DJというと少しチャラいというイメージをお持ちの方もいらっしゃると思いますが、DJは与えられた自分の持ち時間の中で曲順をテンポや展開の起伏を操り一つの物語を作る音楽のデザイナーのような事をしているのです。例えば皆が知っている曲をかけると盛り上がりますが、その中で自分しか知らない曲をタイミング良く混ぜて新たな発見をしてもらうのも一つの物語の力です。そのようにして生まれた物語がお客さん、空間、音楽、企画者という様々な部分でマッチした時に凄い盛り上がりを見せます。(私はヘタクソなのでなかなかここまでの力を持っていませんが)

 

このような駆け引きは『プレゼン』にも利用できると思います。どんだけ良い事を言っても、面白くなかったら聞いてもらえないし、けどお客さんに合わせているだけじゃ自分がプレゼンをしてる意味がない。目的を決めて選択と集中をして雑談を混ぜて伝える。これも一種のデザインなのではないかと思います。

 

大学の授業や会社のセミナーを見てても、大方が面白くないと感じてしまうのは『理屈』で全て考えてしまうからなのではないと私は考えています。そうではなくてある程度単純に面白そうっていう『感性』の要素を取り入れてみたらまた違った景色が見えるのではないかと思います。

 

私が将来仕事にする医療の分野をこれからも維持していくために『効率化』というのは必ず行われます。効率化されながらも本質を忘れない医療をするために『デザイン』という考え方は必要になってくるのかもしれないと思いました。

イギリスと日本の保険制度の違い

5年生の時にプラハの学会で知り合ったイギリスの家庭医の所に研修に行った。イギリスと日本の医療の仕組みは似ていると言われる。全国民が個人収入の影響をほとんど受けずに医療を受ける事が出来るという点で類似していると言われている。しかし、イギリスで実習した時に多少なりと違いと感じた。この違いを明らかにする事で日本の問題点を外から見る事が出来ると感じた。

 

 

 

そのままそう思った事を忘れ2年が経ち、昨日たまたま行った勉強会でイギリスのNHS:national health serviceいう制度についてを学ぶ機会があったためせっかくの機会であったためイギリスの保険制度についてまとめてみようと思う。

 

 

 

日本、イギリス、アメリカを比べた時、完全に民間による保険を制度化しているのがアメリカであり自己負担額10割。日本とイギリスが公的機関が保険制度を担っている。日本は自己負担額3割、イギリスはなんと自己負担額がない。

 

 

この点で日本とイギリスは公的機関が保険制度を担っているという点で類似していると言えるが、その中で相違点が二つある。日本は

 

①自己負担額が存在する事。

②『保険者』と『提供者』が違う事。

 

①自己負担額が存在する事。

3割負担するか負担がないのかでは、似ているようで大違いである。そもそも市民の感覚も違うだろう。私が街を歩いていて、道に迷ったら警察に道を聞くかのように、火事があったら消防車を呼ぶかのように、病気になれば病院に行く。恐らくイギリス人にとって医療が社会的負担という考え方はあまり存在しないと思う。それは日本人が警察とか消防署に対して社会的負担と思わないかの如く。この意識の差には大きな違いがあると思われる。

 

②『保険者』と『提供者』が違う事。

イギリスの場合はNHSがヘルスケア計画を作成して、GPというイギリスのかかりつけ医をその計画に組み込むが可能である。簡単に言うと、NHSという雇用主がGPを雇用している形をとっている。保険制度もNHSが担っている。

 

それに対して、日本の場合は保険者はざっくり『健保』『国保』『後期高齢者保健』があると考えてよい。(厳密には違う。)それに対して『提供者』は病院であり、病院が医師を雇っている。

 

健保の収入→社員からの徴収50%、会社からの徴収50%

国保の収入→税金(自治体からの徴収)40%くらい、残りは住民税と国からの税金(国に介した、けんぽからの補正)

 

 

こう書くと複雑にみえるが、ざっくり言うと、働いている人はあんま病気にならないので、収入(in)に対して支出(out)が少ない。そのため余ったINを国保後期高齢者に回しているという構造なのである。

 

 

『保険者』と『提供者』が同じであるイギリスには、

利点:管理費、営業費の削減、価格交渉の無駄削減。

短所:監視の目がなくなる事でモラルハザードのリスクが上がる。

 

例えば50万の手術に対して、

日本の場合、『保険者』にとって50万は支出(OUT)であり、『提供者』にとっては(IN)になる。具体的には保険団体と病院の間にせめぎ合いが生じる。そのため生じる、価格交渉、営業費、管理費による無駄は存在する。

 

イギリスの場合、収入(IN)が『保険料』 であり、支出(OUT)が『医療費』である。もし本気を出して悪い事をしようと思ったら、治療が必要な人に治療をしなければOUTが減る。競合相手もおらず、均衡関係がないため一度不正が行われると止める事は出来ない。キャメロン首相の時に行われたNHS改革時にこの点について大きく議論されたようだ。

この問題に対してLINksという国民の意見を集めて制度の欠点を補う対応策をたてるネットワークが存在する。

 

 

両者のシステムは当初高い評価を受けていた。が、ここ数年で問題点が出現した。

 

①医療技術の進歩

数十年前には抗生物質も数種類しかなく、今みたいに高齢者に高度な手術を行うことが出来なかった。それが、医療技術の進歩により医療が人々の需要に応える事ができるようになった。それにより医療費は増大した。日本もイギリスもそれに応えるだけの経済成長をしておらず、保険制度上のINの不足、OUTの増加により苦しい状況を強いられた。

 

②多様化

制度が出来たのは半世紀も前。当時に比べて、人々が様々な生き方をするようになった。都心と田舎が存在し、移民も存在して、貧富の格差が生じた。保健サービスが全ての国民の希望に応える事は困難になった。また治療の方法や考え方も千差万別で国が管理する事が困難になった。イギリスで地方分権を行い解決を図った。

 

 

ここまで学んだ保険についてを記した。また時間ができたら、より深いところまで調べて書いてみようと思う。

 

 

 

 

医者はお金じゃないありませんっていう現実逃避

今年4月より給料は5万減額されます。

 
 
入社して1日目にいきなり募集要項の給料から5万円の減額を言い渡された。お金の事ごときでケチケチするのはなんか嫌と思うと同時に社会人1年目の5万円はかなり大きいという気持ちもある。更に無断で勝手に減額されて少し残念な気持ちもある。
 
 
 
取り敢えず、幸いにも医師は5年経ったら5万なんて大した事ないと思える職業ではあるし、まだ1年目でこんなに迷惑かけて給料もらえるならまだいいかなとか思うことにしてやり過ごすことにしていた。
 
 
 
このまえ、飲み会があってたまたま少し偉めの先生が隣にいて、話がかなり盛り上がり、仲良くもさせてもらい、お互い酔っ払ってきたこともあり少し、給料減額に関してどう思っているか聞いてみた。
 
 
すると、こんな答えが返ってきた。
 
 
『医者はお金なんかじゃないんだよ。じゃお前患者さんが時間外に急変したらお金もらってないから対処しませんっていうのか本当に。』
 
 
その途端、近くにいた看護師さんと病院の先生方が拍手をし始めた。
 
そして『お金の話に執着する研修医なんてどうかと思うよ』と色んな方面からお叱りをいただく事になり非常に戸惑った。
 
 
僕はいきなりの切り返しに驚き、ずっと黙って聞いている事にした。
 
 
 
 
 
 
医療者が『お金』に対して意見する事に対するタブー視する力は本当に凄まじい。
 
研修医は取り敢えず置いといて看護師さんのサービス残業の量はありえない。
 
勿論時間外は出ない。
 
 
この前、看護師さんのPCを使ってみたら電子カルテの起動まで5分。患者さんの画面切り替えに1分。すぐフリーズ。
 
 
非常に能率が悪い。しかしPCの買い替えは絶対に行われない。何故なら効率悪い分の人件費は支払われない。看護師さんのサービス残業へ。
 
 
効率化する設備投資のお金は人件費を上回る。
 
 
 
では、経営陣が悪いかというとそういう訳でもない。
病院経営において、支出の半分以上は人件費で飛ぶ。医療職が現状で売り手市場であり、病院毎の入れ替わりが激しい事よりある程度の給料を提示しないと人が集まらないからだ。医療費削減により緊縮化が進み病院自体に黒字を出す事が非常に困難になっている。
 
職員にサービス残業を強要しても尚、黒字を出す事が出来ないのが病院経営の現状だと思う。
 
 
 
 
お金じゃないと言って職員が叱咤する当人が一番お金に苦しんでいる。
 
 
 
 
 
話は変わるが、大学の時読んだ『失敗の本質』っていう本がある。第二次世界大戦で必ず負けると分かっていた戦いを選んだ日本人を振り返り、現在の衰退する日本企業と比較して、結局昔から根本で変わっていない日本人の失敗の本質を指摘した本である。
 
 

 

この本でも触れているのが、構造上不利である状況下に陥った時、過去の成功例と精神論を持ち出して現状把握を辞めてしまい気づいた時には壊滅的になっている事が多い。日本軍のミッドウエー海戦やSHARPのテレビ事業などを例に挙げている。

 

 

 

そう思うと、『医療者は金じゃない!』とかいうのって似ているなって思ってしまう。

 

 

どう考えても、医療費の削減は続き、医療を必要とする人は増え、緊縮、圧迫財政は進むはず。昔は経済成長でお金があり余っていて、お金の話を気にせず医療ができた。

 

 

 

しかし、今は違うと思う。

 

 

お金の事を真剣に今までの何十倍も考えなくちゃいけない。

 

 

お金と真剣に向き合わないから、現場の医療者が疲弊してしまい、

 

 

お金と真剣に向き合わないから、経営と現場の信頼が崩れる。

 

 

お金なんて本当はどうでもいい要素のはずだからこそ真剣に考え、そんなくだない事で本当に大切なモチベーションとか使命感に陰りを出してしまうのって凄く残念だと思う。

 

 

お金と真剣に向き合う事で、真剣に施設内の効率化を徹底させ、よりスタッフが心地よく患者さんに接する事が出来るようになるのではないかって思う。

 

 

 

中には、俺はお金なんてもらえなくて働くぜっていう熱血な人もいると思う。いや、現状からして医療者のほとんどはある程度お金をもらえなくても頑張りますっていう人で溢れかえっている。

 

 

だからこそ、テクノロジーとか効率化とか経営のプロが必要なんだと思う。

 

 

 

こう思うと昔からなんども思っていたけど、今後やっぱり病院経営に行きたいんだと思うな。

 

私の場合はそこに問題意識が強い。

 

 

 

 

 

説明不足は医師の怠慢という間違った認識

説明が足りません!

 
 
ニュースとかでも医師の説明不足が問題視され、医療系以外の友達にも指摘される事が非常に多かった。5年ほど前から議題にあがり、IC(informed consent)の重要性が認知されるようになった。
 
 
 
実際この流れは素晴らしい事である事を前提とした上で、世間そして医者になる前の私を含めて多くの医学生が勘違いしている事を指摘しようと思う。
 
 
 
それは『説明不足の多くが医師の怠慢で生まれた』という勘違いである。
 
 
この勘違いを分かりやすく伝えるためにとても乱暴な例えをする。そしてあくまで私の感覚なので批判を受けるかもしれません。
 
 
 
『高齢者にiphoneの使い方を説明できますか?』
 
 
 
この質面と、患者さんに現状と治療について説明する事は共通する部分は非常に多いと思うんです。
こんな事言うと、患者をバカにするなとか、医者として失格と言われるかもしれませんが 、そういう話をしている訳ではなく、専門性が高く深いジャンルの知識を全く縁のない人に説明する事は非常に難しいという事が言いたいのです。更に、新しい事、物、知識に対して腰が重い高齢者が聞き手に多いのが医療の現場であり、他の職場との大きな違いだと思います。(更にいうと説明時間が短い事もあげられます。)
 
 
 
私も救急外来や病棟で説明する事はありますが、どれだけうまくやっても全然うまくいきません。後日説明不足!と言われてあんなに時間をかけて丁寧に説明したのに・・・と思う苦い経験をした事もあります。
 
 
 
 
私の場合は実力不足が原因なのですが、それは取り敢えず置いといて医師なって気づいたのは、医師の怠慢で生じていると思っていた説明不足はそんなに簡単な問題ではないという事。
 
 
 
 
医師が患者に現状を正しくコンパクトに説明する事はとても難しい事で、それが出来る医師はかなり技術があると思います。
 
 
 
 
そしてiphoneの使い方を私達が使いながら調べながら一生懸命学んでいくように、病気の事も患者さん『分からない』の一点張りではなくしっかり勉強していく必要性を強く感じるようになりました。
 
 
 
 
最近注目しているのがMedleyっていうサイトで、医療→患者に正しい情報をコンパクトに配信しているサイトでフィールド外の人が勉強していくのに非常に良いツールとなっています。一度患者さんの家族に勧めてみた事ありますがなかなか好評でした。
 
 
 

www.medley.jp

 
 
医師が怠慢ではないのと同時に患者さんも決して怠慢では無い事が多い印象があります。
 
 
 
 
 
なんでもかんでも問題の矛先を医師に向けるのではなく、そして医師はそれをなんでもかんでも引き受け続けるのではなく。
取捨選択して構造を明らかにして、解決策を考えていく方が建設的だと思います。
 
 
 
なんでもかんでも医師のせい、患者のせいにするのは簡単です。しかしそんな簡単な問題でなく現場に行って気づいた出来事を一つ書かせてもらいました。
 
 
 
 

看護師と仲良くなる事の大切さ

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研修生活が始まって2ヶ月が過ぎようとしている。

多くの研修医が症例をこなす事や手技をこなす事を目標にする中、私は卒業前から決めていた少し人と変わった目標を立てる事にした。

 

『病棟の看護師さんと仲良くなる事』

 

こんな事を言うとチャラチャラしているとか言われるのが面倒くさいからあんま言わなかったが、友人のDeNAの子に自分に対しての人事評価の仕方を学んで少し取り組んでみたりした程それなりしっかりと目標と立ててみた。

 

 

学生時代に実習に回って、医師と看護師の仲の悪さに唖然とした。エレベーターでは医師が看護師の悪口を良い、看護師が医師の悪口を言ってるのを聞いて、非常に気まずかった。

 

 

将来、病院経営をやってみたいと思った時に、今の医療制度上、医療現場に労働と報酬のバランスを見合わせる事は現実的に不可能であるからこそ、仲の良さとか、楽しさとか、やりがい、そういうよく言えば付加価値、悪く言えばふわふわした物を経営者になるならしっかり現状として捉えておく事が非常に大切だと考えている。

 

僕の考えの中で医療現場がある種ブラックなのは止む終えない職場である事を現実として受け入れており、それを間違いだと思う人がいるのであれば是非政治の世界に力をかけて欲しい。

 

 

取り敢えず、なんで仲悪くなるのかを知りたいと思った。数ある要素の内一つ触れる。

 

知っているようで知らないお互いの業務。

 

同じ病院に務め、同じ患者さんを相手にしている以上、一般人からしたら同じような業務しているように見えるだろう。実際、医学生の時の僕ですらそう思っていたくらいだ。しかし、研修医になると医師の仕事と看護師の仕事は全然違う事に気付いた。仕事っていうのは業務の事も当てはるが、それ以上に何に価値を置いて仕事をしているのかとか、何を自分の学問としてのベースにして仕事をしているのかという部分の違いは驚く程である。

 

 

また、医師が看護師の仕事をする事もなければ、看護師が医師の仕事をする事も少ない。

 

例えば、点滴をする際に注射を入れる→液体の入ったボトルから出てる管を注射と繋ぐ。という作業がある。正直、一人でも簡単に出来る事だが、実際の現場では医師が患者さんの部屋まで行って、注射を入れる。それが終わったらわざわざ、担当の看護師さんを探して電話なり、呼び行くなりして管を注射に繋いでもらうようにお願いする。

 

なんでそんな事をするかというと、注射を入れた時間などを記録する必要があり、事細かな記録を病院では看護師がやっている。その記録の仕方を医師は知らないから勝手に点滴を始める事が出来ない。少なくとも研修医なりたての自分より看護師さんの方が病院のルールや作法を良く知っているため中々、臨機応変に行動できない。

 

 

こんな小さな事でも、こんなに差がある。差がある事を取り敢えず説明した上で違う話に触れる。

 

 

この前大学時代から仲の良かった今年看護師になった友人と飲んだ。実はこの看護師は正直、医者の事が大嫌いの看護師である。そんな彼女がこんな事を言っていた。

 

『医者って分かってないなって思う事が多々ある。例えば、熱が出てるのにいきなり効く菌の幅の狭い抗生剤を使い始めて、でこの人の熱がどんどん悪くなって全然良くならないんだよ、考えれば分かる事ない?』

 

恐らく、ゾシンっていう抗生剤を使っていてやや効き始めているのに、年配の方に長期投与して偽膜性腸炎などになる事を恐れて抗菌薬変えたんだろうなーって話を予想し、その話は医師国家試験では頻出の症例であり、でも実際の現場では患者さんにとって悪影響になってしまった例なんだなと思う。

 

 

逆もある。

『この看護師さん、いつも指示出してから行動するのが遅くて検体提出遅れて病棟の仕事終わらん。外来間に合わんじゃん。』

 

しかし、良く見ていると、その看護師さんは認知症の患者さんに一生懸命採血する理由を説明しており、それを誇りにしているような看護師さんだった。その看護師さんからしたら、担当の医師が外来の仕事がある事なんて知らないし、採血の結果が遅くなる事によって生じるロスを知らない。その看護師さんは自分のやるべき事をしっかりやっていた。

 

 

病院の中にはこの類いの不満が一杯存在する。

今までの言い方をすると病院内で働く人は器が小さいのかと誤解を与えるかもしれないし、自分もちっさいなこの人達とか学生時代に思っていたけど、実際自分が働いて小さな不満をぶつけられ(研修医はぶつけられる対象になります。)それが溜まりそれをまた違う誰かにぶつけているという現実を何度も感じた。

 

お互いの仕事や考え方を知っているようで知らない。

そしてそれにすら気付いていないから、

自分の価値観と物差しとで他人を判断してしまう。

 

一年目はまだ何も分からないことを自覚しているからいいが、二年目、三年目になればなるほど慣れてきて、それぞれの仕事や考え方の奥深さを配慮せずあたかも相手の事を理解しているような気がする。少なくとも、時系列の中でそう感じている自分をしっかり自覚している。

 

 

これは自分だけなのだろうか。

 

 

良く意識が高い人達が、それぞれがそれぞれを理解して全人的な・・・・みたいな事を言うのを聞くが果たしてどうなのだろうか?

 

一人の人が何年もかけて積み上げた物をそんな簡単に理解出来るのだろうか。自分達ってそんな凄い人なんだろうか。何か勘違いしてないか。

 

全人的って、数ある学問の内、たった一つの学問もしっかり学べていない一人の人間が、全人的に何か事を動かすなんてとても厚かましい事だとか思わないのか。

 

(誠意を以て、近づける事は大切だが)

 

医師と看護師も一緒で、所詮それぞれの持っている力なんて知れていると思う。僕がどんだけ頑張っても、患者さんの食事介助とか記録、清潔を保つ事、傾聴を行う事は出来ない。実際、病院で一番献身的な仕事をしているのは看護師だと思う。

 

その献身さに僕は価値を見出す事なんて出来ない。そして、そこに価値を見出す看護師の感性は恐らくだが教育や学問の部分に依存するのではないかと思う。

 

昔のブログに書いたが本当に患者さんが笑ってるのは医師の前ではなく看護師の前だと思う。

 

けど、やっぱり僕は看護師の事は分からない。そして分かった気がした瞬間に自分は厚かましい人間になってしまうんだろうなと思っている。

 

 

 

 

色々話が脱線したが、戻すと『病棟の看護師さんと仲良くなる事』を二ヶ月間目標にして何を得たか。

 

 

それは、気にならない事。

 

色々理屈っぽく話をすればどうにでもなるがシンプルかつ根本的なのはここ。

 

例えば、小さい不満をぶつけられても、逆に不満に思っても、その日の朝に一つ冗談を言い合うような仲だったら『まあええっか』ってなる所に尽きる。

 

医療現場には独特の緊張感があり、またそれぞれがそれぞれの職にプライドを高くもっている事が多いため殺伐とする傾向にあるとおもう。

 

一日を生きていて、10%嫌な事があると、その日終わった時に何故か50%ぐらい嫌な事があった気がしてしまう事って誰でもあると思う。

 

また10人いる看護師さんの内1人が自分に理不尽に当たりが強くなると何故か10人の内4人くらいが嫌な人に見えてしまう。(どこの職場にも合わない人はいる)

 

 

それが仲良くなると実際にはわずかしか存在しないイヤな部分も受け流す事が出来るし、受け流せなくても看護師さんと一括りにせず、他の看護師さんを看護さんとしてではなくおもしろい事を言い合ったあの人として見る事によって無駄な気持ちの面での嫌な気分を減らす事が出来る。

 

 

ここまで話をしたが、今自分がいる病院は医師と看護師が物凄く仲の良い病院である。病棟でも笑いながら話をしているし、飲み会も時折だがしっかりしている。だから今回の話は自分の周りでしか起きていない話かもしれない。少なくとも今まで回った実習の病院より笑顔が溢れている気がする。恐らくそっちの方が患者さんにとっても良いと思う。

 

 

今一回文章を読み返したが、所詮、二ヶ月程度働いているだけの自分が偉そうな事を言っている事実に唖然としている。だからお許し頂きたい部分が一杯ある。それを踏まえた上でこの感覚を残したいと思ったからこうやって公開させてもらっている。

 

次の2ヶ月はまた目標を変えて仕事をするが、この2ヶ月自分の中での小さな目標で得た事を一つ今回書き残してみた次第である。